2014年5月13日

豚を攻撃する際に四つん這いになるやつはバカだと思って間違いない。

一年ほど前から在特会周辺の話題に関心を持ってまして。
在特会ならびに在日差別、ヘイトスピーチに関する基礎知識はこちら。

新大久保や鶴橋で何が起きているのかについて、知らない人に向けて。 - <life>fool</life>

こうした差別的言動を繰り返す団体や個人、その思想・行動に賛同する者は
ネットを通じてその主張を広める手法から「ネット右翼」、通称「ネトウヨ」と呼ばれ、
(実際には右翼からも保守からも嫌われてるただの排外主義者なんだけど)
攻撃的な街宣デモを繰り返して、これまでに何度も問題を起こしてるのね。
興味を持たれた方は安田浩一氏の「ネットと愛国 ~在特会の「闇」を追いかけて~」も読まれたし。

で、上記のリンク先を読むとおわかりの通り、
在特会とは何かっつーと、いたってシンプルに「キチガイ」の一言に尽きるわけですよ。

2002年の日韓共催W杯あたりから世間では徐々に嫌韓の空気が醸成されて、
(2chでは飯島愛を女神扱いしたりしてたっけ。もう12年前になるのか…)
2005年には嫌韓を煽った「マンガ嫌韓流」がベストセラーに。
今では嫌韓本・呆韓本の類が書店で平積みされるほど、嫌韓はすっかり市民権を得てる。
平積みに否定的な人もいるけど、個人的には健全な需給の結果であり表現の自由だと思う)
そうした土壌に加え、昨今の国際情勢を鑑みると「アンチ韓国政府・アンチ韓国社会」は大いに理解出来る。
在日韓国人・朝鮮人(以下、在日と略)の中には嫌なやつもいるだろうし、そいつ個人を嫌いになるのもわかる。
(むしろ嫌なやつなのに「在日だから」嫌いにならないなら、それは充分に差別だわな)
ただ、それがどうして「○○は全部嫌い」になっちゃうのかがわからないんであってさ。
どうしてアンチ韓国人やアンチ韓流ドラマ、アンチK-POPになるのか、
ましてや、それがどうしてアンチ在日になるのか、飛躍が過ぎてもう理解不能ですよ。
マンションの大家が五月蠅いからって「このマンションの住民は全員嫌い!」となるか?
ラジオから嫌いな曲が流れてきたら「もう音楽なんて聴かない!CD全部捨てる!」となるか?
しかも個人がそう思うのは自由だけど(バカだとは思うけど)、
それを大声で喧伝して回り、同調を求めるなんて正気の沙汰じゃないわなと。

個人的な意見を書いておくと、オレは在特会の言う「在日特権」なんてないと思ってんのね。
通名制度も特別永住許可も「悪用しようと思えば可能」なだけであって、
ごく一部が悪用したからってそれを「特権だ!」と叫ばれてもなあ、と。
「一部の人が生まれながらにして持つ、悪用可能な権利」を特権と糾弾するのであれば、
皇室、障害者、天性のアスリート、手先の器用な人、なんかも非難しないと嘘になっちゃう。
オレにとっては「女」、ましてや「美人」なんてのは最大の特権だと思うけどなあ…。
それはともかく、百歩譲って在日特権の存在を認めるとしても、
だったら特権を与えてる政府サイドを非難して改正案を提案すべきはずで、
特権濫用を抑止するための法整備を行った方がよっぽど効果的でしょうよ。
それなのに、言われたところでどうすることも出来ない在日に対して
ヘイトスピーチを行う時点で、本質的にはストレス発散でしかないんだよね。
そもそも問題意識もないんだろうし、解決するつもりもないのは明白なわけで。

つまりゲーム気分で差別を行う「絶対悪」なんだよな、在特会というのは。
そこに擁護出来る要素は微塵もない。
逆に言うと、叩くだけで「絶対的正義」になれる存在であって。
ここ、ちょっと覚えといて。後で出てくるから。

で、差別的デモ=犯罪かというと一概には言えなくて、
一応はデモの許可を取っている以上、法は遵守してることになってる。現行法上では。
オレなんかは差別的デモ、ヘイトスピーチを法規制すれば済む簡単な話だと思うんだけど、
それだと「どこからが差別でどこからがヘイトスピーチか」を誰が定義するのかという問題や、
言論統制に繋がるというリベラルな人たちによる危惧があって、
現状では野放しにせざるを得ないっつー、非常に情けないことになってて。
時の政府が悪用出来ないよう明文化して、さっさと法改正しちゃえばいいじゃんねー、固いこと言ってないで。

以上、ここまでは「差別はいけないよね、差別する人は悪いよね」という当たり前の話。

ここからの展開がオレ的には俄然面白くなってくるんだけど、
上記の通り、法的には現状放置せざるを得ない差別的集団に対して
差別反対を標榜して果敢にも立ち上がった人たちがいたのな。
それが一番最初のリンク先にも書かれてる「レイシストをしばき隊」や「プラカ隊」でさ。
彼らは差別許すまじとカウンター(反対勢力)として在特会と対峙したわけ。

ここでさっき「ちょっと覚えといて」と書いた部分を振り返ると、
彼らカウンター勢は生まれながらにして「絶対的正義」なのね。
そりゃそうだ、絶対悪の差別的集団に立ち向かっていくんだから正義に決まってる。
差別を憎む我々が賛同すべきはカウンター勢でしかありえないし、
差別vs反差別、絶対悪vs絶対正義、常識人なら誰もが後者を支持するのは明らかで。

ただ、この対立はそんな単純な図式から「逸脱」していくんだよね…。

先に書いておくと、オレはプラカ隊は支持する。いや、支持してた(理由は後述)。
プラカードに差別反対の旨のメッセージをしたためて、
ただ黙って街頭に立ち、静かに意思を表明するプラカ隊は
本当の意味でのカウンターたり得てると思うし、
日本人は決して差別を許していない、という対外向けの意思表示にもなってる。
もちろんそれで簡単に差別がなくなるわけではないけれど、
オレは差別的デモを根本的に絶つには法整備しかないと思ってるから、
それまでの場繋ぎとして、プラカ隊は充分に機能していると思うんだけども。

さて、もう一方のカウンター勢力、しばき隊の「逸脱」は圧倒的なネーミングセンスの欠如に始まる。
暴力を示唆するかのような「レイシストをしばき隊」って…。
実際にしばく(殴る)わけじゃなく、しばきたいと思ってるから「しばき隊」らしいけど、
第三者の目にはそうは映らんわなあ。「しばき軍団」みたいな意味合いに取られる。
「レイシストを許さない会」「レイシストに断固反対し隊」とかでいいじゃんなあ。
どうしてわざわざこんな誤解を招く、正義らしくない名前にしたのか不思議。

しかも彼らは「目には目を」「毒を以て毒を制す」の論理で、
名は体を表すが如く、実際に暴力的なやり方で戦いを挑んでいくんだな。
侮蔑的な言葉で在日に罵声を浴びせる在特会に対し、
しばき隊も侮蔑的な言葉で在特会に罵声を浴びせる。
時には在特会と揉み合いになり、暴行容疑で数名の逮捕者も出してる。
「しばき隊」やメンバー名で画像検索すると、
出てくるのは和彫りの刺青をキメた強面の輩だったり、
記念写真かのようにカメラ目線で中指を立てる中二病のような連中だったり…。

さらにはメンバーに暴行・脅迫の犯罪歴があったり、前科二犯の政治犯がいたり、
ついには先日、生活保護費不正受給で逮捕される者もいたりで、
目的としてはせっかく明確な正義を掲げてるのに、そこに頻繁に非正義が顔を出す。

もうね、全然ダメなの。信用の出来なさ、説得力のなさ、求心力のなさがハンパないの。
本人たちは正義の旗印の下で英雄気取りなのかもしれないけど、
こんなの見たら一般人は「やだ、こわーい、気持ちわるーい」と感じるよ。
仮面ライダーに犯罪歴があって、全裸に靴下だけみたいなルックスだったら、
いくら正義を守ったとしてもヒーローとして認めてもらえないでしょ。仲間になりたくないでしょ。

つまりはね、そもそもプラカ隊とは異なった目的で組織された集団で、
差別反対という主張を悠長に述べるよりも、その場で直ちにレイシズムを食い止めたい、って主旨があって。
その崇高な主旨自体を揶揄するつもりはないけど、
第三者の目線という客観性が見事に欠落してんのね。
目の前に差別を行う敵がいて、差別を受けてる被害者がいて、差別に対峙する自分たちがいると。
その外側で「今後運動に参加したり支援したりしてくれるかもしれない第三者がその様子を見ている」ことが全然見えてない。

市民活動なんて民意を味方につけて、大衆を引き込んでナンボなんだから、
運営にあたってマイナスイメージや敵対勢力からのツッコミどころの排除は絶対に必須なんだよな。
今回の件でも、一部のメンバーの暴力性やバックボーンが原因で、
しばき隊全体のイメージ低下に繋がり、大衆を運動に引っ張り出せなかったわけで。

何度も言うけど、当初は「絶対的正義」という圧倒的優位を誇っていたんだからさ、
普遍的でベタな「差別ハンターイ!」といった形の抗議活動を続けてれば、
絶対に民意がついてきて、数万人、数十万人単位のカウンターとなり得たんだよ。
そうなれば数の力で、とりあえず目の前の差別的デモは止められたはずで。

また、こういった抗議行動で「毒を以て毒を制す」って手法が孕む問題点は、
敵対勢力や第三者から「おまえらも同じ穴の狢じゃねぇか」とツッコまれることでさ。
上に書いたように、ヘイトスピーチに反対するしばき隊も、在特会へのヘイトスピーチを行ってるわけだから。
で、案の定ネトウヨからその件を批判されると、
「我々が在特会に行っているのはヘイトスピーチではない。ヘイトスピーチというのは…」と、
ヘイトスピーチを勝手に定義して、自らを正当化し始めたのな。あちゃー。

…いやいや、「自分たちの作ったルールで自分たちの言動を正当化する」って一番のタブーでしょ!
正当かどうかは世間がジャッジすることで、決して本人たちが決めるこっちゃない。
それなら在特会の差別的行動すら「在特会ルールでは在日への正当な抗議活動」ってことになるし、
「イスラム原理主義においては…」ってテロリストの言い分をも認めることになっちゃう。

というかね、オレはてっきり手法がマズいのは承知の上で、
それでも差別抑止という目的遂行のために批判覚悟で「あえて」ダーティーヒーローを演じてるのかと思ってたよ。
なのに弁解してどうすんだと。なんだかすげーかっこ悪いんですけど。
つーか、そんな弁解してまで、どうして「ヘイトスピーチと誤解される罵倒」が必要なのかがわからない。
オレには感情の赴くままに放った言葉の暴力を後から自己弁護してるようにしか見えないんだよな。

一応はしばき隊の暴力性に対する弁明もあるものの、オレには言い訳にしか見えない。
確かに「法整備なし」というルール上なら最適解かもしれないけど、
どうしてそこまで法整備を避けるのかがまず理解出来ないし、
結果的に国家が差別を容認して、その度に強面の自警団が暴力的に対処する、
しかもその自警団が本当は正義なのか悪なのかはわからない、
そんな北斗の拳にも似たカオスな世界、オレは絶対に嫌だがなあ。

こうして大衆の支持を失った活動は「正しいことをしているのに認められない」が故、
過激な言動が目立つようになり先鋭化して、ますます民意から世間から遠ざかっていくわけだ。
Twitterでは「反差別運動をするなら殺人魔だろうが強盗魔だろうが関係ねえ」とか発言したりさ。
少なくともオレはいくら正しい行動でも殺人魔や強盗魔と一緒にしたくはないよ…。
この時点で「正義vs悪」の図式は消滅して「悪vs悪」になってんだよな。

そもそもオレが被差別側の在日だったらどう思うだろうか。
当初は味方の出現に心強く感じただろうけど、
それが反社会的イメージを纏った者だったら…。
差別加害者と同様に下品な罵詈雑言を吐く輩だったら…。
正直、ありがた迷惑じゃなかろうか、と思う。
差別は嫌だけど、この人たちと同類に見られるのもな、って。

実際にあるべき解決法がしばき隊のそれだとはオレにはどうしても思えないんだよなあ。
いじめられっ子を普段素行の悪いヤンキーが救う、みたいな一見美談チックな漫画的構図だけど、
それだといじめられっ子はまたいじめられるし、その度にヤンキーが救わなくちゃならない。
根本的に必要なのはいじめっ子に対する罰則を規定した、いじめを絶対に許さない校則じゃないの?

先述したネーミングセンス云々の続きだけど、
しばき隊はイメージ払拭のためか、昨年末に団体名を変更してんだよね。
「レイシズムに対抗」するため「しばき隊・プラカ隊等が渾然一体となったプラットフォーム」として(Wikipediaより)
新しい団体名は「C.R.A.C.」(Counter-Racist Action Collective)というんだけど、これがまた全然ダメ。
「クラック」って破壊的な意味を持っちゃってるでしょ。Crackingだったりコカインの隠語だったり。
だったら「反差別連合」とか「A.A.R.(Association Against Racism)」とか、何でもいいんだよ。
ただ、C.R.A.C.は違うんだよなー。中指立てた写真と相まって、軽薄で底の浅いパンク臭が漂うんだよね。
ちなみにC.R.A.C.になった時点でオレはプラカ隊を見切った。あー、しばき隊を認めるんだ、って。
また、現在しばき隊の関連団体として反レイシスト団体がいくつか発起してるんだけど、
その名前が「男組」、「友だち守る団」、「我道会」…。酷い…。

そのC.R.A.C.が今春ついに暴走を始めた模様。
「在特会による差別的デモの制止」が発会理由だったはずなのに、
気付けば安部首相に対するヘイトスピーチを始める始末。あわわわ…。
差別的プラカードに飛び交う罵声、お決まりの中指を立てたファッキンポーズ。
しかもその画像を得意げにC.R.A.C.のHPに掲載したりもして。ああ…。

もう当初の行動理念も失ってるし、在特会とどっちがレイシストだかわからない。
正義の行動で得た支持者の「力」を政治的活動に利用するって最悪じゃね?
もちろん安部首相や政権与党を批判すること自体は個人の思想信条の自由なんだよ。
だったら個人か別団体でやればいいし、そこにC.R.A.C.の名前を使うのは違うだろと。
逆にC.R.A.C.を名乗って、汚い言葉、下品なポーズで反政府的主張をすることに何のメリットがあるのかをオレは尋ねたい。
むしろ安部首相は在特会を非難し、移民政策をも考慮するほど人種差別・民族差別には反対の立場なんだよね。
そこを批判するってことは、差別云々とは何の関係もない単なる主催者の政治的主義主張で、C.R.A.C.が出る幕じゃない。
結局は、敵がたまたま在特会だったから正義に見えたけど、
実は単に「自分たちが気に食わないものに反対する団体」だったのか、なんて邪推すらしちゃう。
元々しばき隊の母体は首都圏反原発連合なんだけど、
シングルイシュー(争点をひとつに絞ること)を失った市民活動は瓦解するって反原発運動の際に学ばなかったのかね。

在特会に唯一感謝すべき点は「わかりやすい悪である」ことなのね。
だからみんなが敵という認識を共有出来るし、みんなが存在を嫌悪する。
オレが懸念するのは正義を巧妙に利用した、こういうC.R.A.C.のような連中でさ。
一旦「正義」というレッテルを貼られたことで周囲を油断させ、
そのレッテルを利用して別のベクトルに向かう危険性を孕んでることで。
オウムに入信してテロ行為に手を染めた狂信者も元々はヨガ同好会の会員に過ぎなかったわけだ。
入信に至る過程は洗脳だけじゃなく、「この同好会の延長線上なら」って信頼感も当然あったろう。
「当初の目的」から離れて「当初の目的の支持者」を思想誘導することが許されるはずがない。
ま、これまで書いてきたようにC.R.A.C.はそもそも「正義」のレッテルの獲得に失敗してるんだけど…。

他にも、このC.R.A.C.が活動費捻出のためにパンク色の濃いグッズを販売してたり、
メンバーに有名人が混じってたり(松沢呉一は著書「鬼と蠅叩き」が好きだっただけに残念)、
主催者が音楽畑出身の人だから運動にすごくサブカル臭を感じたり、
書きたいことはいろいろとあるんだけど、また機会があれば。

で、オレなりの結論。
第三者が取るべきカウンター行動は徹底した無視、それしかないとオレは思う。
無視をしつつ、反撃としてコリアンタウンに「笑顔」と「お金」を落とす。
在特会がいくらヘイトを声高に叫んでも、徹底的にスルーされて、
意図とは逆にコリアンタウンは人で賑わい、潤っていく。
それこそが在特会のもっとも嫌がる結果で、一番の平和的なカウンターじゃなかろうか、と思うわけだ。
差別的デモ・ヘイトスピーチを法で規制出来るようになるまでは。

と、いろいろ書いたけど決して在特会の肩を持ってるわけじゃない。あいつらはキチガイ。それは間違いない。
ただ、キチガイの敵がまともだとは限らないし、
罵声を浴びせてくるキチガイに対して、こっちも罵声で返すのは愚の骨頂だっつー話。
豚を攻撃する際に四つん這いになるやつはバカだと思って間違いない。

…あ、言い忘れましたがおひさしぶりです。